2019土佐の食材と郷土料理を楽しむ会 レポート

 
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元禄3年から300年以上、大手筋で行われ続けている路上市、「日曜市」。1700メートルにもなる市場には、旬のお野菜や果物など、高知の旬が毎週並ぶ。そんな大手筋の一角にある、割烹「なとな」で「2019 土佐の食材と郷土料理を楽しむ会」が行われた。参加者の中には、高知の伝統料理研究の母ともいうべき存在である、高知県立大学名誉教授の松﨑淳子先生もいらっしゃり、松﨑先生の食に関するエピソードもお聞きしながら、高知の食を楽んだ。

 
 

高知の味は素材の味


「なとな」さんは、こぢんまりとしていて、まるで我が家のような落ち着いた空間だ。木製のテーブルの上に、入河大根のなますや、田舎こんにゃく煮、ほうれん草のお浸しなど、大小さまざまな小鉢が並べられ、食卓の上で輝いている。

早く食べたい。

子どものような気持ちでじっと待っていると、他の参加者の皆さんも目を輝かせてその時をまっているようであった。

乾杯の声を皮切りに、春菊と白菜の小鉢に箸をつける。「なとな」で提供される料理には、一切化学調味料は使われていない。私の頂いた小鉢も味付けはお塩だけ。それなのに、口に入れた瞬間にふんわりと広がる春菊の香りと、白菜のシャキッとした食感に箸が止まらなくなってしまう。

 すると松崎先生が口を開く。

 

「高知は食材の持ち味がいいの。」

 

松﨑先生は、以前、高知の山の中で干し大根だけが載せられた皿鉢を見たそうだ。はじめは呆れていたが、不思議と箸をのばしてしまうことに驚いた松﨑先生は、これは、だしでも調味料でもない、山の、高知の味が美味しさを作っていることに気づいた。

素材の持ち味の良さを活かすということは、当たり前のようで難しい。

 

松崎先生の教え子でもある、「なとな」店主の原さんも、

「この子は私にどうしてほしいのかな。」

と、常に食材の気持ちになって調理を考えるのだという。

それ故、食卓に並んだ小鉢はどれも、塩辛いことはないのに、しっかりとした素材の味が感じられる。

 

素材そのものの味こそが本当の高知の味なのだ。

 

即殺直後が鮮度の証


次に食卓に挙がってきたのは、サバのお刺身。

青光りした背中と、ふっくらとした身がお皿の中でひしめき合っている。

慎重にお箸でつまんで口に運ぶと、これは本当にサバなのか?と思うようなぷりぷりとした触感に驚く。臭みもまるでない。

あまりにも美味しいサバに気をとられていると、すっと松崎先生の手が挙がる。

伝えたいことがある時のサインだ。

 

「あのね、お魚はね『即殺直後』と言う、死んだばかりの魚に塩するのよ、そうすると『すわり』という現象が起こって身がきりっとなるの。」

 

「即殺直後」とは、家庭的な雰囲気とはかけ離れた、なんとも物々しい雰囲気の言葉だが、松崎先生の科学的な根拠に基づくお話や、口に入れた時の美味しさで「即殺直後」のすばらしさを実感する。

 

後に出てきたハガツオのタタキもまた、鮮度がすばらしい。

口入れた瞬間ふわっとした食感と甘みが、口いっぱいに広がり、とろけるようになくなる。

「これまでの人生で一番おいしいカツオ!」

そんな声が起こるのも納得の味だ。

 
 

山のごちそう

海の恵みだけで満足してはいけない。

高知には広大な山がある。そしてそこには山の暮らし、山の文化、山の味がある。

 

高知の山では、人もてなす際にさば寿司をふるまうのだという。山のさば寿司はごはんばかりで魚の量が少ない。しかし、それこそが最高のもてなしなのだと松﨑先生はいう。

「米はね、山ではごちそうなの。だから、米が少ないと周りの家にケチだと思われる。」

四国山地の中央に位置する大豊町。そこに住む原さんのお母さんが作った五目ちらしずしにも、たっぷりとご飯が使われていた。柚子の香りの効いたちらしずしは、里帰りのごちそうだったという。

参加者の皆さんも次々とちらしずしをおかわりしていく。まるで実家のようなアットホームな雰囲気を、山のちらしずしは作り出していた。

 

味の記憶

 
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会も終盤になったころ、つやつやと黒輝りした銀不老豆煮が現れる。高知県で唯一、日本の残したい食材100選に選ばれたという銀不老豆は、しっかり、ほくほくとした自然な甘さで、箸が止まらなくなる。

 

そしてまたもや松崎先生の手が挙がり、こんなエピソードを話してくださった。

 

ある日、松崎先生の元に、誕生日会に好きな食べ物を用意している老人ホームから、銀不老が食べたいと頼まれたが、その豆がどうしても見つからない。という電話を受けた。松崎先生は、この女性はきっと大豊の方だ!とひらめき、収穫の時期ではなかったものの、なんとか誕生日会までに、各所から豆をかき集め、レシピをつけて送った。そして、後日先生の元に届いた手紙には、普段はあまり話さない女性が、昔の話を何時間もしてくれたという内容が書かれていたそうだ。

子どものころ食べた味は年老いてからも忘れることはない。味の記憶は残り続けるのだと松﨑先生は、感じたそうだ。

 
 

 

手間と美味しさ

銀不老に続いて出てきたのは、原さんのお母さんの手作り羊羹。甘すぎず、しっとりとしていて、豆本来の甘みが上品に香っている。女性に特に好評で、おかわりをお願いする人がいるほど。

そして、最後に現れたのは大きな皿鉢に乗った、文旦。

それも丁寧に一つひとつ手剥きされている。文旦は剥くのに苦労することで有名な果物で、薄皮の白い部分に苦みがあるので、薄皮まできれいに剥けている状態で食べれることはまさに贅沢と言える。

弾けんばかりの実は噛みしめるたびに爽やかな酸味と甘みが広がる。今まで美味しいものをたらふく食べてきたはずなのに、それを忘れたかのように食べられてしまう。

剥いてくれた人の手間があってこその美味しさだ。

 

これまでの料理にも、たくさんの手間がかかっている。

丁寧な下ごしらえをする、手間。

素材の美味しさを引き出すための、手間。

素材の味を引き出すのは難しい。それでも原さんは、人と、野菜と、対話して料理を作る。

「日本料理は引き算だなんていうけど、あれは間違い。足すから引かなきゃいけなくなる。元々の物に何も加えなければいい。」

 

「なとな」にメニューがないのは、その日ある食材や、お客様を見て料理が決まるため。相手や野菜を思うその手間こそが、「なとな」の美味しさを生み出しているのではないだろうか。

 

食材の持ち味を最大限に活かした料理は、高知の食の豊かさを教えてくれた。

自然に感謝し、自然と生きてきた先人たちの郷土料理は、きっと誰が食べてもどこか懐かしさを覚えるのではないだろうか。

今日の美味しい出会いに感謝して、ごちそうさまでした。

 
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(レポート:檜山諒)

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